1.ファラオ・ラリーの魅力

「ファラオ・ラリー」、毎年エジプトで開催されるこのラリーは、実に魅力あふれる大会だった!

FIA・FIM公認の国際ラリーであり、その伝統と格式の高さはその他の国際ラリーにも引けを取らない。出場者の顔ぶれも実に豪華である。ラリーの最高峰、“パリダカ”の常連がごろごろいるのだ。

このラリーの最大の魅力は、なんと言ってもエジプトというロケーションであろう。ピラミッドや王家の谷、アブシンベル神殿といった数多くの世界遺産がそこには存在する。太古への憧憬と浪漫あふれるこの大地を疾走するのである。かつて、ファラオやその軍隊、あるいは駱駝にまたがった商人たちが、夢や野望、そして財宝を求めて命がけで越えていった砂漠を横断するのである。想像するだけで胸が熱くなる。冒険者のDNAを持つ者には、武者震いするほど魅力的なルートのはずだ。

総走行距離3334キロ、総SS距離2558キロにも及ぶルートの設定も、変化に富んでいておもしろい。さまざまに色や表情を変える幻想的な白砂漠や黒砂漠。硬く波打つバンピーなガレ場や高速で走行できるフラットダート、垂直に登ったり降りたりする大きな砂丘など、選手を飽きさせることはない。

ナビゲーションの難易度も適度である。迷宮への罠もある。しかし、それは脱出不可能なほどではない。競技時間の設定も、かなり余裕を持って設定してある。早い日には、朝スタートして、お昼にはもうゴールしていた日もあるくらいだ。休息時間も充分に取れた。

スタッフの数も充実している。ヨーロッパ人、エジプト人を含めて90人近くが選手のために働いてくれているのだ。サービスも行き届いており、キンキンに冷えたビールやコーラ、シャワーも毎日浴びることができた。スタッフの陽気さと笑顔も最高にいい。

そして何より特筆すべきは、食事のおいしさだ。テーブルに所狭しと並べられた生ハムやサラダ、香ばしい鶏肉、パスタまであるのだ。砂漠のど真ん中で、こんなに美味しい食事が取れるのだ。これほどの贅沢があるだろうか。美味しい食事は、心も豊かにする。過酷なラリーの日々で、それは選手たちのコミュニケーションの潤滑油にもなる。国籍の違いを超えて、多くの選手たちと会話を楽しんだり、友人になることもできるのである。

これほど完成度の高いイベントが他にあるだろうか。最近、日本ではこのラリーへの参加者が減り、メディアでも報じられなくなったため、風化して忘れられつつある。しかし、その上質なオーガナイズと、魅惑的なルートやロケーションは、日本人の心を再び捉えるはずだ 。

ファラオ・ラリーの人気が再炎することを願いつつ、選手として参加した僕らの体験と、このラリーの現在を報告する。
※このレポートは2004年に『4×4MAGAZINE』に掲載された筆者の記事を加筆・再構成したものです。

2.復活のファラオ

「ファラオ・ラリー」その響きに伝統と浪漫を感じるのは、僕だけではないだろう。しかし、輝かしい栄光の歴史に彩られたこのラリーの名を聞かなくなって久しい。ここ最近は、主催者の変更とともに「ラリー・オブ・エジプト」と名称を変えていたからだ。ところが今年、伝統ある“ファラオ”の称号が復活した。

この記念すべき2003年度大会に、僕は「チーム・スガワラ」のナビゲーターとして参戦することになった。日本が世界に誇るトップ・ラリーイスト菅原義正氏率いる「チーム・スガワラ」の名を背負えることは、僕にとっては光栄の極みである。

出場車両は、「チーム・スガワラ」の代名詞でもある日野レンジャー。カミオン(大型トラック)クラスでのエントリーだ。

ドライバーは、義正氏の次男、照仁選手。98年、パリダカに初参戦以来、豊富なラリー経験を持つが、競技カミオンのドライバーとしては今回が初めてである。

初めてなのは僕も同じ。「ラリーレイド・モンゴル」に2度参戦した経験があるものの、本格的な国際格式ラリーへの参戦は、今回が初めてなのである。しかも僕らには、メカニックはいない。競技も整備も、すべて2人でこなさなければいけないのである。何もかもが始めてのトライアルであった。

3.悠久の大地、エジプト

9月28日、僕らを乗せた日野レンジャーは、スフィンクスが鎮座し、その奥に3基の大ピラミッドがそびえるギザ台地にいた。いよいよラリーの開幕である。

スタート台は、スフィンクスの真正面に設けられていたのだ。冒険ラリーのスタートとして、これは最高の演出だ。

ピラミッドは、圧倒的な存在感を放ってそこに屹立していた。これはいったい何なのか。王墓説、天空模写説、地球縮図説など、さまざまな説明が試みられている。その建築技術の神がかり的な精巧さも、驚愕に値する。しかし、ピラミッドの本当の凄さは、古今東西を問わず、ここに訪れたどんな人をも唸らせる絶対的な説得力にあると僕は思った。ピラミッドは、古代から現代にプレゼントされたイマジネーションのパズルなのだ。

ラリーはこのギザ台地をスタートし、西方砂漠のオアシスを経由しながらスーダンとの国境近くまで南下し、エジプト最南端の遺跡、アブシンベル神殿を折り返すルート。熱風吹きすさぶ灼熱の砂漠を越え、古代の人々が夢や情熱とともに進んだ道をトレースする。このラリーは、冒険者の心をくすぐるような要素に満ち溢れている。

4.天使のお告げ

ところで、車検の2日前に入国していた僕は、その2日間を利用してエジプト観光を楽しんだ。そのときチャーターしたタクシーの運転手が、僕に興味深いことを言った。

彼の名はムハンマド・ガブリエル。出来すぎた名前だ。ムハンマドはイスラム教の創始者。ガブリエルは、そのムハンマドに天啓を与え、コーランを書かせた大天使の名前なのである。

彼は自ら、俺は天使の名前を持つ男だと名乗った。そして僕がラリー出場者だと知ると、彼はこう告げた。

「あんたはラッキーだよ、フレンド。俺が去年乗せたお客は優勝したんだ。なにせ、俺は天使の名前を持つ男だからな。だから、あんたもきっと優勝するよ」

僕は笑いながら答えた。

「インシャアッラー(アラビア語の常套句で、“神がお望みならば”の意)」

5.ラリー開幕

午前11時35分、スフィンクス前をバイク勢、4輪勢が出発した後で、カミオン・クラスは出陣した。

出場カミオンは3台。競技台数としては寂しいが、ライバルの2台は最新型のウニモグ。搭乗しているのは、まるで港町にいそうな、ガッチリした体格の荒くれ漁師風イタリア人である。パリダカにも出場予定だというこの2台のライバルは、かなり手強そうだ。

初日のルートは、カイロを発ちバフレイヤ・オアシスを目指す366キロ。エジプトの大地に体を慣らすには最適な距離だ。

SS(スペシャル・ステージ)のスタート地点に移動した僕らの目の前には、エジプトの西方砂漠がはてしなく広がっている。陽炎に揺れる地平線。熱風が砂煙を巻き上げる。SSのスタートを待ちながら、照仁選手はエンジンの調子を確かめるかのように何度もアクセルを開けた。そのたびに、レンジャーは巨像のような雄叫びをあげた。

ヘルメットをかぶり、インカムのスイッチをオンにする。照仁選手はサングラスを装着し、左手でギアを手繰りながら言った。

「さあ、いっちょ行きますか!」

僕は地平線に目を向けたまま答えた。

「了解!」

6.カミオンの衝撃

12時50分、SSがスタートした。巨大な蹄のようなタイヤが、大地の砂を力強く蹴り上げ、レンジャーは走り出した。

オアシスへと続く砂漠の道は、実に変化に富んでいた。足もとをすくわれそうな柔らかなソフトサンドの道、尖った岩がゴロゴロ点在するガレ場の道、モーグル・バーンのように白くコブだらけのフェシフェシの道。山のような大砂丘も、時に越えなければならなかった。さまざまな局面を適切な判断力と技術で乗り切る技術が要求された。

砂漠を走りながら、ラリーはつくづくチームスポーツであると僕は感じていた。チームの出来が勝敗を決めるからだ。運転するのはドライバーだが、ルートを決めるのはナビである。ドライバーとナビの意識が一心同体となったときこそ、絶妙なコンビネーションが生まれる。コンビネーションを生む鍵は、お互いへの信頼だ。ドライバーは、ナビの判断力に全権を委ねられるか、ナビは、ドライバーの運転技術に命を預けられるかどうかなのだ。

だが僕と照仁選手は、お互いについてはほとんど知らないと言っていい。お互いの性格のソリが合うかどうかもわからないのだ。チームとしては本当に未知数だ。こんな即席チームが、この過酷な7日間を完走することができるのだろうか。僕は彼に自分の命を預けることができるのだろうか。はたして、僕の漠然とした不安は杞憂に終わった。

照仁選手は、独特なリズムで巨大なレンジャーを軽快に捌いてゆく。競技者としては初めてでも、これまでの豊富な経験が彼にはあるのだ。僕は、安心して彼に命を預けることができた。

それにしても凄いのは、カミオンが受ける振動と衝撃である。それは想像を絶する過激さだった。カミオンのコックピットは、タイヤの真上にある。タイヤが受けた衝撃は、分散されることなくダイレクトに選手の体を直撃するのだ。大地の起伏は、コックピットを上下左右へと激しく揺らし、僕の体は、ほぼ同時にあらゆる方向へ引っ張られる。まるで、馬に手足を繋がれる中世の拷問のようだ。

グッと息を呑み、襲い掛かるGに耐える。瞬間的にとてつもない力が体に加わる。そのとき、これは修辞法的な表現ではなく、文字通り“心臓が止まるか”と思ったことが何度もあった。

「菅原さんは、62歳の肉体でこんな過激な競技を続けてるのか」

カミオンという競技の凄さと、菅原さんのタフさに改めてショックを受けつつ、夕刻のビバークに到着した。

7.神秘の砂漠

ラリー2日目は、バフレイアからムートを目指す476キロ。距離も長くなりルート設定もグッとタフになる。まず現れたのは黒砂漠。硬めにしまった砂礫が、空からバーナーで焦がしたかのように黒い。さらに進むと黒い大地が、雪のように白く変化してゆく。白砂漠の出現だ。

しかし、カミオンの激しい振動と必死で格闘していた僕には、この大自然の神秘と美しさに浸る間もなかった。大地はやがて、荒れ果てた岩のガレ場へと姿を変えてゆく。鋭く尖った大小の岩が点在する非常に危険な場所だ。振動はさらに過激さを増し、ときどき意識が遠のきそうになることさえあった。

照仁選手は、ゆっくり、ゆっくり、と呪文を唱えるかのように言葉を吐き出しながら右へ左へレンジャーを操る。彼も必死なのだ。僕は、さらに意識を強く集中させた。

ゴール後、僕は車から這いずり出ると、Tシャツは破れ、肩とお尻の皮がめくれてしまっていた。つくづく、とんでもない世界に足を突っ込んでしまったものだ。しかし、今さら後には引き返せない。

ゴール後は車両の整備が待っている。僕は、平衡感覚を失った体をなんとか車体の下へもぐりこませると、慣れない手つきでグリスアップを始めた。

1日目と2日目の成績は、カミオン・クラスでなんとトップタイム。1日目、僕らはミスコースもなく順調にゴールにたどり着いた。しかし、ライバルのウニモグはルート見失ってしまったらしい。焦った彼らは2日目に勝負に出た。それが裏目に出て、なんと1台が転倒してしまったのだ。仲間のもう1台が助け起こし、リタイアは免れたものの、彼らは大きく出遅れてしまったのだ。ラリーは本当に、何が起こるかわからない。

3日目、ムートからオワイナットへの394キロは、ハイスピードなルートが設定されていた。大きくなだらかに波打つ砂丘を、まるで波乗りでもするかのようにレンジャーは快適に駆け抜けた。

ライバルのウニモグも、まだまだ勝負を捨ててはいない。彼らの猛烈な追い上げが始まったのである。この日の首位は彼らだった。

8.試練のパンク

ラリー4日目、ルートは折り返し地点であるアブシンベル神殿を目指し、一路東に進路を向ける。いよいよアブシンベルだ。エジプトの最南端に到達するのだ。僕は感慨深いものを感じた。

この日もウニモグは、アクセル全力で疾走していた。マキシマム・アタックである。この日からレンジャーとウニモグとの、抜きつ抜かれつの熾烈なバトルが始まった。

彼らは、先行する僕らを射程距離に収めると、一気に抜き去り、脱兎のごとく地平線の彼方へ消えた。しかし、すぐに抜き返す。ゴールまで残り50キロを切ったころ、一瞬の判断がこの日の勝敗を分けた。彼らはミスコースをしたのだ。オンルートをキープする僕らが、この日の勝者になるはずだった。

ゴールまで残り10キロ。アブシンベルはもうすぐそこだ。勝利は我が手中にあった。しかし次の瞬間、勝利は掌にすくった砂のように、指の間からこぼれ落ちていった。タイヤがパンクしたのである。路上に突き刺してあった、細いスチールパイプを踏んだのだ。タイヤには見事な刺し傷があった。

さっそく、タイヤ交換を始めた。ホイール・キャップをはずし、ネジを取る。一方で、交換用のタイヤを荷台から降ろし、2人でネジ穴にタイヤをはめ込もうと試みるも、あまりの重さに作業は進まない。

それにしても暑い。息を吸い込むと肺が焼けどしそうだ。噴出す汗。真昼の苛烈な陽光は、確実に水分を奪い、体力も奪っていった。思わぬ力仕事に胸が早鐘のように躍りだす。

僕は、あまりの過酷さに折れそうになる心を、必死で叱咤しながら作業を続けた。40分ほどで僕らはタイヤ交換を終え、レースに復帰した。

本当に何が起こるかわからない。しかし、これがラリーだ。

ラリーの女神様は、簡単にはアブシンベルに行かせてはくれなかった…。

9.アブシンベルの夜

アブシンベル神殿。辺境に地に築かれたこの4体の巨人像は、古代エジプトのファラオ、ラムセス2世の威信と権力の象徴である。地獄のタイヤ交換という試練を乗り越え、やっとここまで来ることができた。

人間、限界を超えると最後には笑い出すものらしい。ミイラのように干からび、水分と体力を奪われた僕らは、冷たいコーラを何本も飲み干しながら、ただただ笑い続けた。

しかし、実際楽しかったのだ。危機的な状況を2人の力だけで克服する。その達成感は、状況が厳しいほど強くなる。この高揚感がラリー中毒を生むのだろう。

日が沈み、漆黒の闇が大地を覆うと、神殿で音と光のショーが始まった。鮮やかに照らし出された大神殿。巨人像の微笑は、僕らを歓迎してくれているようだった。

5日目、いよいよ後半戦が始まる。今度はカイロを目指し、ひたすら北上するのだ。5日目はハルガまでの549キロ。6日目はバフレイヤへの559キロ。レンジャーは順調に走り続けた。僕と照仁選手との息も合ってきている。

しかし、この頃から僕には優勝に対する色気が芽生え始めていた。確実に迫りくるウニモグの脅威。先行逃げ切りが難しいのは、サッカーの試合と同じだ。心理的なプレッシャーが大きくのしかかるのだ。僕はできるかぎり、優勝を意識しないことにした。焦ったら終わりなのだ。

照仁選手はどうか。彼は、今日も淡々と走り続けている。目の前の優勝という甘い果実に惑わされることなく、平常心をキープしているのだ。照仁選手の凄さは、精神的な強さだけではない。時間と空間、距離とルートに対する感覚の鋭さは尋常ではない。それは野性的ですらある。狼の子はやはり狼だったのだ。僕は、彼とチームが組めたことを誇りに感じた。

10.勝利の街「カイロ」への凱旋

ラリー7日目。いよいよ最終日だ。カイロまでの438キロ。しかし当初予定されていた345キロのSSは、オーガナイズ上の理由で、急遽30キロに短縮されてしまった。この30キロを無事に走りきれば、その先に歓喜のポディウムが待っているはずだ。僕は高揚する気持ちを、集中力に変えていった。

30キロのSS。たいした距離ではない。しかし、そこには最後のトラップが仕掛けてあったのである。僕らは、まんまとその罠にはまってしまった。

スタート後まもなく、椰子の木が生い茂るブッシュ地帯が現れたのだが、先行する2台の車両に惑わされ、ブッシュの迷宮に誘い込まれてしまったのである。すぐにリカバーに取り掛かるも、足元には畑が広がり、道を見つけて迂回するしか前へは進めない。GPSポイントを一直線に目指して突っ切れるような土地ではないのだ。地形を読み、進行可能かどうかを推測する俯瞰の目と、3次元的な感性が要求された。

僕は照仁選手と2人で、行く手の地形を読み、さまざまな情報を処理しながら判断を下していった。僕1人では、リカバーにもっと手間取っていたであろう。自分の未熟さを、まざまざと思い知らされたミスコースだった。

SSを終え、僕らは一路、カイロに向かった。カイロの語源は、カヘーラ、「勝利者」という意味である。僕らは、勝利者の街へ、勝利者となって凱旋した。当初は、想像すらできなかったが、カミオン・クラスで優勝してしまったのである。

最終ゴール地と表彰台は、スタートと同じギザ台地だ。僕らは、レンジャーのルーフに登り、そのときを待った。2人の名前が大きくコールされる。スフィンクスと大ピラミッドをバックに、歓喜のシャンパン・ファイトだ。祝福と喝采の拍手を浴びながら、僕らは最高の瞬間を迎えた。

こうして僕のトレーニング・デイズは、優勝という最高の形で幕を閉じた。伝統あるファラオに、勝者として名前が刻まれるのである。僕はその重みを感じつつも、自分の出来に満足できないでいた。最後のミスコースなど、課題が山ほど見つかったからだ。

僕のラリー道は、まだまだ始まったばかりである。

※このレポートは2004年に『4×4MAGAZINE』に掲載された筆者の記事を加筆・再構成したものです。